2018年6月21日木曜日

6月のくらべ読みセミナー

セミナー記録を書いていこうと思ったのに、まただいぶ日がたってしまいました。
6月2日のくらべ読みセミナーは、マージョリー・フラックの続きでした。
取り上げた本をご紹介します。


マージョリー・フラックが絵だけを描いた、
『ふわふわしっぽと小さな金のくつ』

出産で夢をあきらめて21匹の子ウサギのお母さんになったふわふわしっぽ。しかし見事な子育てぶりを長老に認められ、子どもたちの力で夢をかなえるという話。表紙にもある、きちんと隊列を組む姿が可愛らしくとても印象的。至らない母としては、拍手をおくりたいほど見事なお母さん。きちんとお母さんをしながら家事も見事にこなせる女性は、たいていの仕事はうまくやりとげられるのですね・・・



マージョリー・フラックが文章を書き、
絵をクルト・ヴィーゼが描いた『あひるのピンのぼうけん』、

『アンガスとあひる』を画を描きながらあひるに興味をもったマージョリーフラックがその生態の勉強するなかで生まれたお話だそうです。ひとり置いてけぼりになったピンがピンチを切り抜けるお話。
中国の雄大な揚子江が舞台です。画を描いたドイツ生まれのクルト・ヴィーゼは、若い頃中国に6年ほど住んでいたそうです。豊かな水をたたえたのどかな風景、静かに波打つ水の表情が素晴らしく、登場する人々のおおらかな明るさがとてもいいです。



クルト・ヴィーゼの描いた絵本ということで『シナの五にんきょうだい』もとりあげました。これは小さい頃に読んだ人も多いのではないでしょうか。もとは古い中国の昔話だったものを、パリの児童図書館員、クレール・H・ビショップが再話し、クルト・ヴィーゼが絵をつけました。福音館の石井桃子訳の絵本は絶版となりましたが、かわもとさぶろう訳で瑞雲舎より復刊されました。

私が小さい頃に出逢ったのは、石井桃子訳の絵本です。とにかくおもしろくて夢中になったのを覚えています。セミナーでは石井桃子訳とかわもとさぶろう訳とをすべて読み比べました。

比べてみると、訳のちょっとしたことで、中国のスケールの大きさや、不気味な感じが、伝わったり伝わらなかったりで面白さが違ってくるのがわかります

ひとつだけ例に挙げると、
このお話は見分けがつかなぬほどそっくりな5人兄弟が主人公。それぞれが一風変わった特技をもっています。例えば、海の水を飲み干せるとか、息をずっと止めていられるという具合に。。。三番目のにいさんは、足がどこまでものばせるにいさんでした。ここの訳を比較してみます。



川本三郎訳
「三ばんめの にいさんは うみに なげこまれました。 
ところが この にいさんも へいきです。 
うみのそこまで あしを どんどん 
のばすことが できるからです。 
そして かおを なみの うえにだすと 
にっこり わらって ぷかぷか ういていました。」 

石井桃子訳
「三ばんめの にいさんは、ふねから そとへ ほうりだされました。 
けれども、この にいさんの あしは、どんどん どんどん、 うみの そこに つくまで のびて いきましたので、 
いつまでたっても、あたまは、にこにこしながら、なみの うえに、ぷわぷわ ういていました。」 

この絵のユニークさ、不気味さがより表現されているのはどちらでしょうか。面白さが変わってきませんか?

一度イメージが伝わる訳に親しんでいると、新訳のあっさり省略されてしまっている部分がなんだか妙に物足りない。原文よりも翻訳のほうが良い場合もあるし、海外の本に及ぼす翻訳者の力は本当に大きいと感じます。現在石井さん訳の本は、図書館では借りられますが、中古品でもどこにも見つけらず手に入りません。。残念です;;


絶版の原因となった言葉の表現についても考えました。この絵本では、シナという呼び名と弁髪が問題視されています。セミナーではクルト・ヴィーゼの生い立ちにも触れました。

彼は6年間中国に住んで商売をしていましたが第一次世界大戦中、日本人にとらえられて、イギリス、オーストラリアに送られ5年間囚人として過ごします。その後ドイツに戻り、ブラジル、そしてアメリカへと移り住みました。そしてアメリカでイラストレーターとして成功したくさんの本に挿絵を描きました。『You Can Write CHINESE』
という漢字の本も見せていただきましたが、彼が中国の文化に親しみを持ち、好んで描いているのがよくわかります。

『シナの五にんきょうだい』を公共の場で読み聞かせするなんてとんでもないという声がいまもあるようですが、差別するために、子どもたちに絵本を書く人はいません。作者は子どもたちに生きる力を伝えるために本を描いています。文章を書いたクレール・H・ビ ショップは本にする前に400回、子どもたちに語って聞かせたといいます。

昔話なども同様です。一部の表現で安易に時代にそぐわぬと作品(お話)をなくしてしまうのは本当に残念です。その時代ならではの政治的な圧力もあったのかもしれません。問題視されていることは理解しながら、当時の時代背景とあわせて、作品の本質に向き合うことは、子どもたちにとっても、歴史を知るうえでも大切なのではないか。現代においても問題が続いているのであれば、注釈を加えて言葉を差し替える変更はあっていいと思います。一部の表現の為に、面白いお話まるごとなしくて、わくわくする機会がなくなってしまうのはとても寂しいことだなぁと感じます。


クルト・ヴィーゼの『You Can Write CHINESE』

中国の漢字がどのような形から生まれたのか
一ページに一文字ずつ、わかりやすく描かれています。
日本語版はありませんが、漢字の絵本なので
英語版でもじゅうぶん楽しめます。
欲しくなってしまった1冊です。





次回のくらべ読みセミナーは、ルドウィヒ・ベーメルマンス
7月7日山内地区センター第2会議室にて。









2018年6月4日月曜日

ルース・クラウスとセンダックの絵本

ぼくに平手打ちを食らわせるように
して、ルースはぼくを一人前に
鍛えてくれたのです。
ルース・クラウスは、もうけ主義と
いうかんばしくない習慣に
染まるより以前にいた、
米国の子どもの本をゼロから
生み出した一流の、
すばらしい、非凡な女性です。
(モーリス・センダック) 
季刊「子どもと本140号」より
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5月28日の絵本セミナーでは、
ルース・クラウスとセンダックが組んだ絵本を7冊読みました。
ルース・クラウスとセンダックは親子ほどの年の差があります。
一緒に本を作ったのはルース・クラウスが50歳、センダックが20代半ばごろです。

ルーシー・ミッチェル女史が、大人と子どもの教育機関として高い志のもと、1916年に創立したバンク・ストリート・カレッジ。そこでは、子どもを学ぶことからはじめるためのーどんな環境が子どもたちの教育と成長に適しているのかーー保育園が併設されていました。その子どもについての本を創作するための創作家養成所に、ルース・クラウスやマーガレット・ワイズ・ブラウンがいました。
どの絵本にも、まず最初のページには、保育園で出逢ったたくさんの子どもたちと、先生方への感謝の言葉が述べられています。

二人の作品の特に素敵な3冊をご紹介します。

『あなはほるもの おっこちるとこ』
 ~ちいちゃい こどもたちの せつめい
 R.クラウス文 M.センダック絵 わたなべしげお訳
 岩波の子どもの本

たくさんの子どもたちが遊ぶかわいい姿がいっぱい。
センダックが下絵をみせたところ、男の子が男の子らしいことをして、女の子が女の子らしいことしかしていない絵に、ルースは激昂したそうです。
絵本の一番最後、本を枕にして足をひろげて、すやすやと寝ている女の子がいますが、これも最初は男の子だったとか。。。こんな女の子、たくさんいます(笑)


いぬはひとをなめる どうぶつ
ては つなぐために あるの
あなは ほるもの
だきあうために うでが あるのよ
みみは ぴくぴく うごかすもの
おしろは すなばで つくるもの
かいがらは うみの おとを きくもの
ねこは こねこをうんでくれる どうぶつ
かいだんは すわるとこ
ほんは みるもの

英語版の方がミニサイズで、絵がより繊細で可愛いらしいです。




『うちがいっけんあったとさ』
 R.クラウス文 M.センダック絵 わたなべしげお訳
 岩波書店


ルースとぼくの最高作品!とセンダックはいっています。
夜の夢のように、一人の人間の私的な空想にとって、その秩序のなさと、流れと、うやむやさは本質的なものであり、ルースクラウスがもっとも惹かれていったものは、そのことであった。ーーセンダック
この絵本を楽しめる大人は、なかなかいないかもしれません。小さなお子さんに読んでみてこそ、の絵本ですが、実は声に出すと、いわんとする世界観を大人も楽しめます。センダックは当たり前のように、この空想世界を存分に楽しめる人だったのだと思います。英語版のカバーにはルース・クラウスと若かりし日のセンダック二人の写真が掲載されています。

More! More! More! 
てれつく てんてん すててんてん! ちん とん しゃん!
わたなべしげおさんの訳も素敵です。





『ぼくはきみで きみはぼく』
 R.クラウス文 M.センダック絵 江國香織訳
 偕成社


上2冊より少し大きくなった子どもたち
各ページ多様な構図で、様々なシーンが
豊かに描かれます。

直接子どもの中から生まれてきた一冊の本
ーーモーリス・センダック

こんなことあったな...こんなことしたな...
こんな匂いのこんな世界があったな...
ちいさい人たちの、おともだちの世界。
ふたごっぽくなりたいの
ふたごっぽい くつと ふたごっぽいコートで、
もしどっちかの コートがチェックなら、
もうかたほうも そうでなくちゃ、ふたごっぽくーーー
どっちかのいえに とまるときには、
なにもかも おそろいにするの、ふたごっぽく、
そのまえに でんわでそうだんするわ。
ーーーもっているなかで いちばんにている はなもようのパジャマ
ーーーミルクはコップの ちょうどおなじせんまで
ーーーおはかをとおりぬけるときは、
ふたり どうじに いきをとめる、ふたごっぽく
たとえいっしょに いないときでも そうするの

             





季刊『子どもと本』140号

「ルース・クラウスとぼく 
  --格別のパートナーシップ」

モーリス・センダックが書いた文章
(山本まつよ訳)が掲載されています。
絵本創作時の話、児童書への思い、
敬愛するルースへの思い、
ルースが亡くなるときの様子と悲しみ、
大金を生み出す以外に興味がない
出版業界への落胆と怒りが綴られています。
センダックの言葉はこちらから引用しました。


子どものやわらかい空想世界にどっぷりつかってあっという間の3時間....
ものすごく濃い時間でした。
また来月が楽しみです😊



5月30日にいつも活動している
地元図書ボランティアのOGメンバーで
ご近所のスペースを借りて、プログラムを組み、
1冊ずつ絵本の読みあいをしました。
ベテランぞろいで、聴きごたえ十分。
私はバーニンガムの『コートニー』を読みました。
たくさんの刺激をもらって楽しいひとときでした。
地元での活動もガンバロウ☆