2014年9月18日木曜日

子どもは声の文化の人。石井桃子さんの翻訳。



町田市民文学館の児童文学連続講座「石井桃子の翻訳はなぜ子どもをひきつけるのか」(全3回)を受講しました。
作家・編集者・研究者・実践者・翻訳家と多彩な顔をもつ石井桃子さん。なかでも翻訳者としての顔に焦点をあてて同名の本を出版された竹内美紀さん(フェリス女学院大学非常勤講師)の講座です。
子育て中に、息子さんから繰り返し読んでほしいといわれた本が、全て”いしいももこやく”だったことが児童文学研究の道に入るきっかけとなったのだそうで、政治学部卒で研究者としては異端者だとおっしゃっていました。母になってから子どもの本に惹かれた気持ちにはとても親近感を覚えます。

石井桃子さんの名訳の理由を3つのアプローチから考えるという内容で、第1回目のテーマは子ども読者でした。
子どもは文字がすらすら読めない。人生経験が少ない。時の認知の仕方など物事のとらえ方が大人と異なる(子どもは3歳~6歳ころまで主に空間の処理が発達し、10歳くらいにならないと時間を処理する部分が未発達で、過去・未来は心のなかでじゅうぶんにつながっていないそうです。)ことから、子どもの絵本の読み方は大人のそれと違うことを、講座では4歳から8歳の子ども向けに書かれたヴァージニア・リー・バートンさんの「ちいさいおうち」を取り上げ解説してくださいました。

バートンさんはかなりこだわって絵本を作った人で、いろいろな思いが絵本におりこまれています。講座ではタイポグラフィーに注目。

この絵本には文体が左寄せで曲線ラインを作っているページと、中心揃えでギザギザに作っているページと2種類あります。これを、都会がギザギザで、田舎が曲線ラインという解釈がされている本を昔読んだことがあり、私もなるほどと思っていたのですが、それはこの絵本の主たるテーマが環境破壊だと思い込んでいたからだと気づきました。よく見れば説明のつかないページが何ページもあり、竹内さんはその解釈に疑問を感じて調べられたのです。田舎と都会ではないのではないか?

この話は、長さでいえば7~80年くらいの経過を表した絵本です。時間の流れを認知できない子どもに、すべて時間を絵で表してみせているバートンさん。裏表紙にはアメリカ近代史とも思えるようなイラストが書かれていますが、対象年齢の子どもたちは、その時間の本当の長さを理解しません。子どもは皆、自分がちいさいおうち(主人公)になって、(都会へ)冒険し、また家(田舎)にかえってくる物語を楽しむのです。この子どもが行って帰ってくる話は、一番子どもを夢中にさせるストーリー展開で、バートンさんの絵本も、このパターンのお話が多いです。

そしてバートンさんがページごとに区別して書いたタイポグラフィー。竹内さんの見立ては、曲線ラインが昼。ギザギザが夜でした。昼なのにギザギザになっているページがありますが、これはちいさいおうちの視点に立ってみると、周りのビルが高くなりすぎて夜のように暗くなってしまったからだと。なるほどちいさいおうちが運び出されるシーンのページは、明るいところに脱出できたので、左寄せ曲線ラインに戻っています。

動かない家を主役にしている「ちいさいおうち」が、子どもにとっては行って帰ってくる話であり、作者と訳者が昼と夜を意識して区別しているという視点。。これは目からうろこの気づきでした。センダックの絵本にも描かれていますが、夜って子どもにとって特別なんですね。ちいさいおうちの気持ちはそのまま、ちいさい読者の気持ちになることを十分に考慮して、石井さんが工夫して訳していることもわかりました。講座では『声の文化と文字の文化』(w.j.オング 藤原書店)という本が紹介され、子どもはここに書かれている声の文化の人と、同じ感覚思考を持つと言われていたので、ちょっと読んでみたいなあと思っています。

「花子とアン」のドラマで、村岡花子さんが子どもたちと接する場面がたくさん出てきますが、実践者でもあった石井さんが、自宅を改築して開いたかつら文庫の詳細な記録、「子どもの図書館」は私の宝物になっています。バートンさんの「ちいさいおうち」を石井さんが翻訳し、「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」を村岡さんが翻訳する。この二人が家庭文庫研究会を作っていたこともあるんですね。年はひとまわり以上違いますが、ともに戦争を経験し、どうしたら平和に向かっていけるか、子どもに希望を与えられるか、いのちがけの仕事に尽力した軌跡に頭が下がります。

101年という長い一生ですが、石井桃子さんが世に送り出した子どもの本は、二百冊以上にもなるそうです。
「私がいままで物を書いてきた動機は、じつにおどろくほどかんたん、素朴である。私は、何度も何度も心のなかにくり返され、なかなか消えないものを書いた。おもしろくて何度も何度も読んで、人にも聞かせて、いっしょに喜んだものを翻訳した。」 (『石井桃子のことば』)

なかなか消えないもの・・・これがどれだけ大切か。
子どもが夢中になるのは当たり前かもしれません。

ランダムに読み聞かせをしていても、自然と読みやすい本が選別されていきます。今では表紙に瀬田貞二やく・石井桃子やく・渡辺 茂男やく と書かれているのを見ただけで、気持ちがぐっと入るようになりました(笑)力量のある翻訳者というのはすごいです。

竹内さんは石井さんの翻訳の特徴を『声』としています。
来月のテーマは「昔話と声の文化」です。楽しみです。。


今回の講座とは全く関係ありませんが・・・バートンさんは妻とは夫の陰にいて内助の功を果たすもの、という考え方の保守的な20歳も年上の夫と若くに結婚し、仕事がうまくいったことで夫との確執に悩む女性でもありました。フォリー・コーブ・デザイナーズを立ち上げ、女性の経済的な自立を目指しますが、一方夫にも家族にも生涯献身的に尽くし、完璧な主婦業をこなします。もちろんデザインにも一切手を抜かず。。。その徹底ぶりが痛々しくもあり、体力的にきつくて寿命を縮めてしまったのではと思ってしまうほどです。。。日本語版では消されていますが、ちいさいおうちの下にかかれたHER STRORYの文字、(Historyに対して書いたという)が、制約のあった時代を生きたバートンさんの思いを象徴しているようで、胸が熱くなります。





※町田市民文学館 児童文学連続講座
 『石井桃子の翻訳は、なぜ子どもをひきつけるのか』
  講師 竹内美紀氏(フェリス女学院大学非常勤講師) 
  9月13日(土)  第1回 子ども読者

『ヴァージニア・リー・バートン』
ちいさいおうちの作者の素顔  バーバラ・エルマン 岩波書店
『石井桃子のことば』 新潮社
『子どもの図書館』 石井桃子 岩波新書


 
 










2014年9月15日月曜日

カンガのことば


東アフリカの主張する布、カンガ展。
 カ ンガとは、東アフリカ、タンザニアやケニヤの女性たちに愛されている一枚布のこと。
柄が額縁のようになっているので、巻きつけたときに縁が決まってサマになります。
東アフリカの女性たちにとって、カンガは生活の中でなくてはならないもので、“揺りかごから墓場まで”とでもいえるくらい、カンガは女性の一生をあざやかに彩るそうです。

善良な人がいなくなったら、弱き者は苦しむもの。

愛は心の財産。けちってはいけません。

たとえあなたがいなくなっても私たちは忘れません。

贈り物はどんなものでも喜ばせる。

お母さんありがとう、神様が永遠の幸せを与えてくださるでしょう。

余裕のある人はパイナップルを食べるもの。

すねる人は恵みを得られない。

すべてカンガに書かれている言葉「カンガセイイング」です。
昔からスワヒリのことわざや、人生の教訓、愛のメッセージなど、女性たちは、自分の気持ちや考えをとくに主張したいとき、その気持ちにぴったりのカンガセイイングの書かれたカンガを着たり、贈ったりして、さりげなく自己主 張してきたのだそうです。 (※ポレポレHP参照)

この柄ちょっといいな~と思って手にとって言葉を探してみると
”嫉妬しても無駄です。何も変わりません との言葉....笑;
それから次々に布をとっては言葉を読むのが楽しくて・・カルタめくりのように遊んでしまいました。

リンデンさんに来ているお客さんは、カンガやアフリカの布が大好きな人たちばかりでした。こんなふうに使えるよ~といろいろレクチャーしてもらったりして楽しいひととき。色パワーのせいかみな明る~い!

いつかケニアに遊びにいける日を思い描いて...私もカンガを1枚買いました。




それには
 「人生は素晴らしい、しかし短きもの」

と書いてありました☆




 

東アフリカの主張する布、カンガ展

*カフェギャラリーリンデン
http://www6.ocn.ne.jp/~linden/index.html







2014年9月5日金曜日

琵琶弾き語り



8月31日、リンデンさんで室井三紀さんの筑前琵琶弾き語りを聴いてきました。
演目は、
小泉八雲の「雪女」
宮沢賢治の「風の又三郎」
小泉八雲の「耳なし芳一」

琵琶という楽器をみたのは初めてです。
琵琶はペルシャ周辺を発祥とした楽器で、奈良時代に渡来しました。
日本にわたってきて、飛鳥時代からその形はずっと変わっていないそうです。
背中あわせの2つの三日月と、ぐっと曲がった柄の形はとてもエキゾチック。
古いままで変わらないものもあるんだなぁ。なんだかそれだけで古代のロマンを感じてしまいます。

盲人が琵琶を弾いて、芸能や宗教祭事にたずさわるという習俗も合わせて渡来したので、日本での琵琶法師も、ふつう盲目なのだそうです。
芳一だけではなかったんですね。

琵琶法師はその昔、怨霊による祟りが畏れられた時代に、この世とあの世との境界に位置して自在に往還できる、シャーマン的力を持っていたのだとか。 「琵琶法師」ー異界を語る人びと(兵藤裕己)(←ちょっと興味があって図書館で借りてみました。)
小泉八雲の怪談・奇談に、琵琶がぴったりくるのはそういう歴史があるからなのか。

室井さんが弾いてくださった筑前琵琶は、大きい薩摩琵琶を女性用に改良したものだそうです。
琵琶も大正・昭和の初期には、人気があって1家に1台あったというのでちょっと驚きました。

古典以外に、演劇と琵琶の語りを合わせた、様々なジャンルの話に挑戦されている室井さん。
古典は琵琶にぴたりとはまって、私を昔々の情深い霊の世界へ心地よく引き込んでくれました。でもきっと、琵琶を今の時代に生かすには、古典だけでは駄目なんだろうな...
形は昔のまま、でも弾き語りは幅広く、その可能性を広げようとしています。

また、いろいろ聴いてみたいです。


※カフェギャラリーリンデン
http://www6.ocn.ne.jp/~linden/